大学進学のため大阪に出てきてから24年経つが、その間ずっと燃え尽き続けている。
24年間燃え尽き「続け」ている
長い期間何かに熱中して、熱くなった最後の記憶は、高校時代、大学入試の受験勉強。
もともと成績は良かったけど、志望大学へ入るには苦手を克服する必要があったので、特に高校3年生の夏以降はかなり本気でやった。
苦手科目も対策を練って計画的に勉強して、狙いどおり点数をアップさせることができた。
おかげで無事第一志望の大学に合格。
郵便で送られてきた合格者の受験番号リストに自分の番号を見つけたときの興奮は今でもはっきりと覚えている。
…ずっと昔のことなのに何故そんなに覚えているのかと言うと、今に至るまで、それが人生でいちばんテンションが上がった体験だったからに他ならない。
つまりそれほどそれ以降の人生で熱くなることがない。
自分の力で望む結果を手に入れるという点では、大学合格が人生で最大にして最後の成功体験。
それ以降はと言えば、やりたいと思ったことや、やっていて楽しいことはもちろんある。
やっている間は時間を忘れてのめり込むこともある。
でもその熱が持続する時間は短い。
でも消えてしまってるわけではないんだと思う。
感覚的には、ずっと身体の奥で小さな火が燻っているけど、大きな蓋をしてしまっている感じ。
そうやって気がついたら、大学合格から24年も経ってしまった。
「燃え尽き症候群」という言葉があるけど、それを言うなら自分は24年間燃え尽き症候群。
もはや症候群どころの話ではない。
「親の期待に応える」で生きてきた
子供の頃からずっと、親の期待に応えないと生きていけないと思い込んで生きてきた。
それは失敗したら生きていけないという「失敗ビリーフ」と繋がってるんだろうけど。
大学合格というのは最大の親孝行であり、「親の期待に応える」というミッションにおける最大級の到達点だったんだろう。
その時に、自分の人生におけるミッション「親の期待に応える」は終わった。
親の期待に応えるということで言えば、それ以降でも例えばいい会社に入って安心させるとか、結婚して子供をつくるとかいろいろあるんだろうけど、大学に合格して親から離れてひとり暮らしを始めたからだろうか、なぜかそこには向かわなかった。
18歳まで持ち続けたミッション「親の期待に応える」を果たしたと自分で思えた時、ミッションを失くした自分には向かうべき目標が無かった。
それ以降、今の今までずっと自分の人生の道標を見失っているのだ。
あれだけ行きたがっていた志望大学だったのに、いざ入学すると研究にも熱くなれず、高校までは優等生だった自分がすっかり(成績上は)劣等生になってしまった。
卒業が近くなると、回りにつられて就職活動を始めるも、想いがないから当然のごとく失敗。
大学から逃げるように専門学校に進学するも、そんな動機だから案の定底辺学生に成り下がりドロップアウト。
ようやく職にありつくも、大したチャレンジも失敗もなく今へと至っている。
あの大学合格以降、自分の力で何かを手に入れることもなく。
たまたま実家じゃないから働いているけど、大阪という子供部屋に引きこもっているのと同じだ。
その後なんとかデザイナーという職に辿り着き、このたび思い切って独立したものの、1年半でめでたく被雇用者復帰。
頭では「自分はできる、やってやる」とその気になって火を起こしていたつもりでも、心に蓋をしていて酸素が送られないままだから、そのうち酸欠になって火が消えてしまう。
仕事(作業)をする能力はあるとは思っているけど、火が燃えないから仕事を取りに行けない。
心の蓋を取っ払いたい
大学合格というミッションを果たすために、優等生=いい子として生きていくうちに、そうでない自分を殺すため自分の心に蓋をしてしまった。
当時の自分としては喜んでそれをやっていたのだ。
結果親を喜ばせることはできた。
でも、いざミッションが完了してしまった時、いい子でいるために心を塞いできた蓋だけが残ってしまって、いい子でいることからいまだに逃れられずにいる。
もう親を喜ばせる必要はないはずなのに、親の喜ぶ自分でいないといけないというプログラム(それは心の蓋でありビリーフであり)だけが残ってしまっている。
大学合格というミッションは自分のためではなく親を喜ばせるためのもので、それを果たした後の
「自分の人生の生き方」
が分からないまま今まで来ているんだろう。
ずっと肚の底で何かが燻っているような感覚はあるけど、それを表現する(言葉だったり作品だったり)ことができずに、自分の人生がまだ始まっていない感覚が続いている。
心の蓋を取っ払わない限り、この燃え尽き状態は続くのだろうか。
今回の職場復帰は自分の中でかなり屈辱的な出来事なので、もういい加減こんな状態はやめにしたい。
あまりに久しくて感覚を忘れてしまうほどだけど、物事に熱くなれる自分を子供の頃ぶりに取り戻したい。