自分の根底にあった「自分は失敗する」ビリーフを掘り当てたら、過去の出来事がすべてつながった

学び・習慣
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過去を振り返っていると、自分の中の大きなビリーフを掘り当てた。

思いついたことを熱が冷めないうちにわーっと書きなぐっている感じなので、文章がとりとめもないのはご容赦を。

 

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「自分は失敗する」というビリーフ

夕方、その日の業務を終えてひと息ついていると、どんな経緯だったか忘れたけど、ふと昔の記憶が蘇ってきた。

 

それは大学時代に運転免許の仮免の実技試験に落ちたこと。

夏休みを使って実家に帰って教習所に通っていたんだけど、仮免に落ちたせいで夏休み中に免許を取ることができず、結局9月にもう一度帰って続きを受けて取得した。

 

自分って大事なところで失敗するよな、他の人が当たり前にできることを失敗するよなー…

これって何らかのビリーフが関係してるのかなーと思ってネットで調べていると、そもそも「自分は失敗する」というビリーフ(失敗ビリーフ)というのもあり得るんだー…

 

「自分は失敗する」

 

そのフレーズが浮かんだ瞬間から、これまでのいろんなことがすべてつながっていった。

 

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成功体験が自己肯定感につながらない

この歳まで生きていればさすがにそれなりの成功体験はある。

国立大学に現役合格したし、過去の会社での仕事の評価も概ね高かったと思っている。

 

自己啓発の本なんかを読んでいると、

「小さな成功体験を積み重ねて自己肯定感を上げる」

なんて言われるけど、どうして自分は成功体験が自己肯定感や自信につながらないんだろうと、ずーっと疑問に思っていたけど、これで分かった。

 

もちろんすべてにおいてではないだろうが、今までの成功体験は実は「成功体験」ではなく、「失敗回避体験」でしかなかった。

 

失敗しないように、ミスしないように、悪評を受けないように、かわして、避けて、逃げてたどり着いた結果が「成功」に見えていた。

失敗していないから、そりゃそれなりに評価はされるだろう。

けど素晴らしくもない。

及第点。

 

失敗しないための術(すべ)ばかり身につければ、その環境ではなんとなく立ち振舞える。

しかし課題に真正面からぶつかっていないから結果が自己肯定感や自信につながらないし、それ以上の成長がない。

大失敗なくソツなくこなすけど、決してそれ以上になることはない。

そんなものが自己肯定感や自信につながるはずもない。
逆に課題を回避したこと、目の前の壁から目を逸らしたことへの罪悪感から、自己肯定感はむしろ下がっているかもしれない。

 

振り返ってみると

そこで過去に受けたセミナーでのワークや個別セッションを振り返ってみると、

  • 「人の期待にこたえなければがっかりされる」
  • 「自分は無力である」
  • 「自分は敗者である」

といったワードが出てきていた。

 

セミナーや個別セッションでは時間の都合もあるので、その中では自分の人生の一部しか出せないだろうから、それぞれのワードが全く外れているとは思わないし、納得する部分はある。

でも、それぞれの場面では納得していても、後になって考えてみると、何となくこれらが「自分の人生全体を貫くキーワード」だとは感じられずにいた。

 

しかし「自分は失敗する」というフレーズが降りてきたとき、それらがすべてつながった感覚があった。

根底には、一本の太い地下水脈のように自分の底を流れる「自分は失敗する」ビリーフがあったのだ。

 

そう考えると、

  • 「人の期待にこたえなければがっかりされる」=失敗すると人の期待に応えられない、そんな自分はダメなやつだ
  • 「自分は無力である」=失敗するから自分には力が無い
  • 「自分は敗者である」=失敗する自分はこの世界での敗北者だ

これらすべて「自分は失敗する」に収束する。

いや、本当は順番が逆で、「自分は失敗する」がビリーフ、つまり生きる上での大前提となっていたからこそだと考えればとてもしっくりくる。

 

大学時代に2年続けて就職活動に失敗したあと専門学校に行ったのも、表向きはデザインを勉強するためだったが、結局のところは就職に失敗したまま社会に出るのが嫌で、学生という立場に逃げるために進学したのだ。

これは当時から少なからず自覚があった。

 

会社員時代のデザイナーの仕事もまさにそう。

冒険をせずに及第点を取ることで失敗は回避できて、それなりの評価も貰えるけど、そこからの成長はない。

まわりからは有能なスタッフという評価をされるけど、実は有能でもなんでもないという自分の化けの皮がいつか剥がれるのが怖い。

それを知られて人の心が自分から離れていくのが怖い。

いつかしてしまう失敗でそれが露呈するのが怖くて、そこから逃げるために、独立を装って退職したのだ。

 

もちろん当時は希望に燃えていたし、嘘ではなかったとは思っているし、今も諦めたくはないが、根底にそういう思いがあったのだろう。

 

「失敗すると信用を失う」「信用されない自分はダメである」故に、「失敗するとダメになる」。

しかし、そう思うのは根底に「自分は失敗する」というビリーフ(大前提)があるから。

実際はそうじゃない、「自分は失敗する」というのは単なる思い込みだ、と信じられたら。

そして「失敗しても大丈夫、自分はダメにならない」とビリーフを書き換えられたら。

失敗を恐れずにチャレンジできる自分に変われるだろうか。

 

まだ道半ば

ここまでたどり着いたけど、この先がまだ見えない。

今こうやって文章を書いていても、この内容そのものが本当だろうか、勘違いじゃないだろうかと少し疑っている自分もいる。

ここでも失敗したくないビリーフが発動している。

でもこうやって言語化することで何か変わると信じてやってみた。

 

まだ自分の行動を変えられるところまで行かないけど、何かをするとき、あるいはできないときに、

「あっ、また例のビリーフが出てる」

と思い出せれば、今までその場で出なかった選択肢が出てくるかもしれない。

そうやって一歩ずつ進んでいければいい。

 

 

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